来た道?往く径?還る路

海岸線を走行していて窓を開けると、季節の間仕切りを取り外したように磯の香りと潮風が鼻腔を擽る。房総は夏である。一般論だが若い者たちは『年寄りは昔のことを克明に記憶しているのに、つい先刻のことを忘れている??』と言う。一括りにして認知症扱いは勘弁願いたいところだ。
高齢者であることは承知だし今更体裁を繕って生きようとも思わないが単純な物忘れと認知症とは違うだろうと思う。確かに「忘れたッ!」というのはよくあるが全てを疾病に結びつけて欲しくないのが人情というもの??とは言ってみるものゝ総合判断としては矢張り高齢者は始末に負えないジャンルに属する動物かも知れない。
つい先頃のことだが、夕食のあとで我が愚息が突然『親子でも言えないことはありますが??』と前置きして話し掛けて来た。「何ごと???」と続きを聴いてみると、食事のあとで私の義歯の音が異様に気になる時があるという。無意識だと思うが気をつけた方が良いと??。家族の誰にも入れ歯の説明や詳細など話したこともない私だったが??
《親に向って何ということをッ!??喧嘩を売るつもりか???鉄瓶が蒸気を噴き出したら親子での共同生活なんぞ出来なくなるぞ~!ッ???》
口には出さなかったが表情を硬化させた私であったと思う。嫁や孫の前で爺の立場が益々弱体化していくではないか??。三年前、私は間質性肺炎との診断で緊急入院を余儀なくされ約1ヶ月間病院に居た。退院後は酒や煙草との絶縁はもとより減塩?減糖と全てに制約を受ける食生活を送っている。唯一大好物の珈琲を許されたことに救われたが退院後の正月など屠蘇の一盃も呑むなと制限を受け元旦から親子喧嘩が勃発しそうな雰囲気であった。倅にしてみれば親父の為??であったのだろうが??。
法然上人から親鸞に継承されたと伝わる浄土真宗に篤信者が提唱したと言われる道歌がある。ご存知の方も多いと思うが、時代を経て地域によっては様々にアレンジが為されているようだ。
     『子供叱るな 来た道ぞ??老人笑うな往く道ぞ』 
         
     『これから通る今日の径??通り直しの出来ぬ路』
    
       『来たみち 往くみち とおりゃんせ??』
  
         『来た路 行く径 還る道??』
知らなければ知らないまゝ歩いた道だったかもしれない。識れば理解を深めて通過した道だったろうか?物事を弁えたつもりの年寄りも視線を変えれば全く違うものが見えることだってある。或は逆に目に入らないこともあるだろう。新旧や年齢の相違ではない。夫々の立場から見届ける思慮というものだろう。若し人の生き様に「正誤表」が付けられる日があるとすれば矢張り没後ということになるのだろうか??。
倅が私に言う??
   『諺に 老いては子に従えと言うじゃありませんか??』
間髪を入れず私が返す??
   『老いたる馬は道を知る??と言う諺を知ってるか???』
  (山中で道に迷い老馬を放して帰路を見つけたという故事)
春には櫻が咲き鶯が鳴く。秋には銀杏の葉が黄金色に輝き百舌鳥やひよどりが遊ぶ公園??人生の縮図にも似た趣のある散歩道??私が日課にする早朝のコースである。あと何年このウオーキングが続けられるのだろう。指定席(ベンチ)に座る私の背中を今朝もグランドゴルフの同輩たちがお喋りをしながら通り過ぎて行った。

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